一粒の麦

salixdays.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:旅行( 2 )


2011年 11月 20日

新潟へ行ってきました 2

さて、お通夜も滞りなく済み、駅前のビジネスホテルへ母と向かいました。
母は長く看護婦をしていていつも忙しく、あまりおしゃべりするヒマがなかったので、口数があまり多くないようなイメージがあったのですが、それは単なる私の思い込みだと気付きました。
まぁよくしゃべるしゃべる。
11時過ぎまで3時間近くしゃべり続け、灯りを消した後もしゃべっていました。
つかれた・・・

疲れた割には緊張しているせいか、はたまたいつもの習慣か、5時半には起きてしまった。今日はお弁当作る必要はないのに・・・
ぼんやり窓から暗い空を見ていると、列車の来る音が。むむ、普通の電車や貨物ではない・・・?
あれはまさかのトワイライトエクスプレスではないか!
後でダイヤを調べてみると、札幌発大阪行きが、確かに朝の6時頃柏崎を通過することになっていました。ここで目撃することになるとは。う〜っ、乗りたいなぁ!

そんなわけで朝からえらくテンションが上がってしまった。
告別式も済み、母は明日の仕事のためダッシュで東京へ帰るのですが(御年73歳で、まだ週3で働いている・・・すご過ぎる)、私はもう少し居たかったので、鯨波のいとこの家へ。

いとこの方の親戚に混じり、一緒にお寺さんへ。
私はクリスチャンなのですが、実は神社仏閣も大好きで、お寺もチャンスがあれば行きたい方。中の装飾や仏像にも興味津々で、お坊さんがお経を唱えている中できょろきょろ見回していました。
妙智寺という禅宗(曹洞宗)のお寺で、7年前に亡くなった母方の祖母も眠っている所だから、関係ないわけではないし。
そういえば35年ぐらい前に、「人魚のミイラ」というものを見せてもらったことがある・・・と住職夫人に言うと、
「今は形が崩れてしまって、人前に出すことはないんですよー」
とのこと。なんでも、遠くの方からわざわざ見に来る方がいるから本当は見せたいけれど、止められている由。
子供の頃見たあれは、貴重なチャンスだったんだな〜 かなり不気味なシロモノでしたが。

d0209553_22183757.jpgさて、お寺から帰って着替えて、私はちょっと海の方にお散歩にでました。
この写真は、私たちがよく泳いだ所。
白く見える建物は、験潮所です。
1に出した写真の、川が注ぎ込んでいる所より直江津よりで、観光客が少なく、岩も多くて変化に富んだ所です。
鯨波は沖の方に岩が沢山あり、波消しブロックの役目を果たしているので、とても波が穏やかなのです。私はここでしか泳いだことがないので、
「波の荒い日本海」
という言葉がさっぱりわからなかったのですが、確かに糸魚川の方へ行ったら、鯨波では遊泳禁止になるような大波が打ち寄せる中、平気で泳いでいました。


d0209553_22272167.jpgさて、感傷に浸って帰ってみると、叔母からドッカと渡されたこの果物。
私が海岸ぺりをふらふらしている間に、祭壇に供えた果物の争奪戦が繰り広げられ、結局あみだくじで順番を決めて1番の人から好きな物を取っていったというのですが・・・

d0209553_22311867.jpgまたあみだかよ!!
しかも欠席裁判の私が1番くじで、いないので最後に回され、それでこの分量!?
まさか邪魔者の押し付け合い状態?
「さりくすちゃんがいなくて残念だったて〜
 大盛り上がりだったよ〜」
・・・告別式の後、果物の分け合いで盛り上がれるというのは、とっても幸せなことなのでしょう。
おばあちゃん、弁護士連れて遺産分捕り合いをする家族じゃなくて、よかったね。
パンの注文もそれはそれは入りました。はいはい、年内にはなんとか送りたいと思っております。

さて、ただでさえ帰りがたく思っている所へ、叔母の
「泊まっていきなよ」攻撃が炸裂し、家へ電話を入れてみると
「カレーはまだ残っているし、大丈夫だよ」
なんて言われちゃって、もう即お泊まり決定!
鯨波に来れば、こうなることはわかってはいたんですが。
私は今でも鯨波の子になりたいと願っている。

d0209553_22442941.jpgさて、天気も良くなった翌朝、今度は山の方へいってみることにしました。
国道8号線を渡って奥へ行ってみると、30年前は畑だった所が軒並みジャングルになっていました。
この写真の左手は、全部畑だったのに。
耕していた人達が歳をとってしまったんだなぁ。
昔は川沿いの低い所では、小さな田んぼがず〜っと続いていたんですが。

d0209553_22444069.jpg感慨深く思いながら小川の上流をたどっていくと、なんか見覚えのある植物のブッシュが。
これはもしや、野生化したホップ??
ホップはつる性の多年草なので、もしかしたら誰かが植えて放置されたものかも・・・

家へ帰って調べたら、ホップにとてもよく似ている「カラハナソウ」の可能性もあるようでした。
でも、見つけた時はかなりびっくりでした。
雄の株と雌の株が別の植物なので、たまたま雌の株だったようです。
写真などでよく見る「毬花」を取ってみると、枯れているにもかかわらず、とても鮮烈な、すーっとするような香りがしました。


d0209553_2363328.jpgいとこの家へ帰ってくる途中、もう風よけをしている家がありました。
鯨波の海に面した所は風が強いので、冬の間は家を守るために板を組んで風よけをするのです。
春に初めて来た時は、工事中かと思い、すごく驚きました。

d0209553_2394535.jpg隣のおうち跡地。
それほど古くない家だったのですが、地震で住めなくなり、引っ越したそうです。

いとこの家の向かいにあった山羊小屋も、飼っていたおじいさんが亡くなった後取り壊され、風の当たり方が強くなったということです。
きゅうみのじいちゃんとしか名前を知らなかった、ちょっと変わり者の山羊飼いのおじいさん。
私が小さかった時からずっと山羊を飼っていました。
・・あの山羊も、多分代替わりしていたんだと思うんだけど、詳細不明。いつも信越本線脇の斜面の草を食べていました。


d0209553_23182843.jpgいとこの家の地震被害。
こんなんで済んでよかった。
実は今も少しづつ地面が動いていて、地震後補修した道路の舗装が割れたりしているそうです。
昔あった家が更地になっていたり、立て直されて新しくなっていたり、駅のそばに大きな空き地があったりで、いまだに中越沖地震の影響が残っています。

去りがたく思いつつ、2時の列車で長岡まで行き、そこから新幹線で大宮へ。
新幹線に乗ると大宮ー長岡間は70分。昔青春18きっぷで行った時は、6時間ぐらいかかったのにな〜
あみだで残ったパイナップルが、常に香りで存在を主張してました。

帰ってから疲れが出て、3日間10時間睡眠でしたよ。(母、凄すぎる)
[PR]

by salix-kyo | 2011-11-20 23:54 | 旅行
2011年 11月 19日

新潟へ行ってきました 1

先週、新潟県柏崎市へ行ってきました。
ごまさばさんの98人バトルロワイヤルあみだくじに敗れたためのセンチメンタル・ジャーニー・・・ではなく、いとこのおばあちゃんが亡くなったので、お葬式です。
中越地震の後、法事で行った後は諸般の事情で行くことができず、6年ぶりの新潟。中越沖地震の後は初めてです。
d0209553_1419479.jpg
午前中は教会の用事があったので、昼過ぎのMaxとき321号に大宮から乗りました。
私はけっこう「鉄」なので、久々の新幹線にわくわく。
大宮は上越・信越・東北新幹線の全てを見ることができるので、待ち時間にホームで異様に盛り上がっていました。

d0209553_14305125.jpg大宮で仕入れたお弁当。
神田明神下みやびさんのいろどり弁当。
いわゆる「駅弁」とはちょっと違うかもなんだけど、おいしかったです。
大宮を出てすぐ開けてしまいました。
まわりは出張のビジネスマンが多かったので、ちょっとはずかしい気もしたのですが、私は葬式半分楽しみ半分。

d0209553_14402634.jpgさて、Maxときはグンマーには止まらず一気に越後湯沢まで走り、そこで連結車両を外して新潟まで行きます。
夏休み、グンマーネタで盛り上がっていた我が家としては、ノンストップで駆け抜ける、というだけで
「やっぱり・・・」
という気分にさせられる。
写真は上毛高原のあたり。
赤城山は雲が出ていてほとんど見えませんでした。
ガリガリ君の赤城乳業は埼玉なんだよね。

d0209553_14524689.jpgあっという間に関越トンネルを抜けて新潟県側へ。
昔は上越線で抜けるのに12分ぐらいかかったのですが(在来線で行けば今も)、上越新幹線はトンネルが多いので、どこから谷川岳の下だったのか全然わからないですねー
写真は越後湯沢付近。
きれいに紅葉してます。
土砂崩れ跡あり。

長岡から特急で柏崎まで行き、バスがないのでタクシーに乗りました。
目的地は鯨波なのですが、ちょっと歩きたかったので
「御野立公園の入り口まで」
と言うと、明らかに地元民ではなく、しかもかなり寂しい所を指定するので不審に思ったらしく
「海でも見にいくんですか?」
私は自殺志願者ではないよ〜
まぁ、運転手さんがアヤシムのももっともなので、鯨波の親戚の家へ行く旨お伝えし、疑惑を解いていただきました。

d0209553_15142227.jpg御野立公園から郵便局のワキを抜けるあたりに、ありました〜
このゴミ箱!
この黒っぽいゴミ箱をみると、
「鯨波に来たぜ〜!」
と感じるのです。
・・・私って、変かな?

d0209553_1519176.jpg鯨波駅(無人)を左に見ながら進むと前川を渡る橋に出ます。昔は木橋で、隙間から川が見えて渡るのが怖かった。
渡ればそこは砂浜、
鯨波海水浴場のビーチでございますよ!
あいにくシーズンオフなので、釣りから引き上げる人しかいませんでしたが、夏にはここに人がびっしりと集まります。
この寂れ方からすると、想像もつかないね。

d0209553_1683974.jpg信越本線。中越沖地震の時は、このレールがぐにゃぐにゃに曲がってしまったそうです。
隣の青海川の山が崩れてレールが埋まってしまった映像は、高田の自衛隊ヘリからの中継で見た方も多いのではないでしょうか。
信越線の下をくぐるトンネルを抜けて坂を上がると、いとこの家・・・母の妹である叔母の家。
亡くなったおばあちゃんは叔父のお母様なので、直接血のつながりはないのですが、小さい頃からとても可愛がっていただいて、かなり変わった子供だった私が、家と同じように安心できる所でした。

行ってみると、10年ぶりぐらいのおじさん達や、25年ぶりぐらいのはとこに会ってうわぁ〜な感じでしたが、お葬式中なのであまりきゃあきゃあ言うわけにもいかず、控えめに再開を喜びました。

おばあちゃんは享年95歳。最後の3週間は病院でしたが、ずっと家で暮らしていました。
やむを得ず施設に入る方も多い中で、家で暮らし続けることができたのは、叔父や叔母の日々の働きと様々な協力があってのことだと思います。社交的な人だったので、デイサービスやショートステイも喜んで出掛けたということで、様々な出来事も乗り越えて家で暮らせたのでしょう。
お化粧、納棺、出棺と、夕暮れの中で続き、見事な夕焼けの中、家を後にしました。

さて、私は別の叔父(母の弟)夫妻と母を迎えにホテルに寄り、斎場を目指したのですが、同じ名前でいくつか会場があり、ナビが教えてくれた場所は閉まっていて、全員困惑。
少し先の交差点を曲がった所で場所を聞こうと電話して、現在位置を説明していると・・・
なんと車を止めた目の前に斎場の看板があるではないか!!
・・本人的に、超はずかしい&気まずい電話だったような気がする。
ウチの母も方向音痴&目の前の物が見えない人ですが・・・似てるのか?

そんなわけで、お通夜には遅れることなく到着しました。
次回、続きます。
[PR]

by salix-kyo | 2011-11-19 16:38 | 旅行